2015年06月29日

教育現場の再生には、教師の給料を再考しろ!


教育に情熱を注いでいる教師は、
どれくらい存在するのか?

窃盗、盗撮、児童ポルノ、
援助交際、収賄、飲酒運転……。
教師による犯罪は増える一方。

こんなやつらに、子どもの教育ができるはずはない。

「教師は忙しく、ストレスが多いから……」と、
擁護とも取れる発言をする教育関係者もいるが、
まったく見当違いである。

教師のほとんどは、一般企業で働いた経験がないので、
本当の忙しさ、ストレスを知らない。

職場のハンパないプレッシャーも感じたことはない。

井の中の蛙大海を知らず。

社会経験の乏しい教師が、
子どもたちに世の中のことをどうやって教えるのか。

一度は世の中に出た人間が、教師になるべきだ。

社会の厳しさを知らない人間はどうなるか。

小さなことにもストレスを感じ、
軟弱な精神を持つことになる。

ちょっと具合が悪くなると、
“休職”という長期有給休暇を取りまくる。

民間にそんな甘い待遇はない。
病気で休職はできても、給料は出ない。

長期になれば、当然「やめてくれ」と言われる。

ところが、教師はそれができてしまう。

そんなぬるま湯に浸かっているから、
人間らしい心まで失ってしまう。

以前、小学校で刃物を振りまわす犯人を見るや、
こどもたちより先に逃げた教師がいた。

小さな子どもを守ろうとせず、
自分だけを守ったのである。

一般人でも、本能的に子どもを守ろうとする。
それが人間ではないか。

こんなやつが、子どもと接しているのかと思うと、
安心して学校へも行かせられない。

情熱ある教師がいないとは言わない。
だが、ダメな教師は増え続けている。

これはまさに、教師という職業が
“お金儲けのできる仕事”となっているからである。

「給料が高いから教師になりたい」
という人間が実に多い。

まずは、こんな輩を排除する必要がある。

そのためには、
「給料を減らす」ことが有効だと考えるがどうだろう。

本気で、子どもたちに接したい、
教えたいという情熱を持つ人間なら、
多少待遇が悪くても、教師の道を選ぶはずだ。

素晴らしい先生に教えてもらった経験を持つ子どもなら、
大人になって教師を選ぶ可能性も高い。

だが、そんな素晴らしい先生はいるのだろうか。

とにかく、給料の高いうちは、
“聖職者”の意味を知らないやつらが群がってくる。






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posted by 佐藤きよあき at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月27日

法事に「あんぱん」を配る山陰地方の風習は、地元パン屋の陰謀なのか?


山陰地方の一部、島根県東部と鳥取県西部では、
法事に訪れた客が帰る時、
引出物として「あんぱん」を手渡すという。

「法事パン」と呼ばれ、
誰ひとり不思議に思うことのない風習として、
定着している。

最近でこそ廃れてきてはいるが、
日本各地で「法事まんじゅう」が配られることはあった。

固定観念ではあるが、
やはり和物の「まんじゅう」の方が違和感がない。

なぜ、「あんぱん」になってしまったのか。

実は、地元の人も知らないし、文献も残っていない。
「こうではないか?」という“説”は、いくつかある。

古来の風習として、参列者がお供え用に持ってきた餅を、
法要が終わった後に、
また参列者に配るというものがある。

昔のことなので、
わざわざ餅をついて持っていったのだが、
大変な手間がかかるので、やがて「まんじゅう」から
「あんぱん」へと変化していったのではないかという。

だが、この説では「まんじゅう」が
「あんぱん」に変わった理由がわからない。

“食料”として貴重だった「餅」が、
次の時代の“甘い”貴重品「まんじゅう」
に変わるのは理解できる。

特別な日だからこその貴重品なのだが、
「あんぱん」にはそれが当てはまらない。

そこで、もうひとつの説。

発祥は昭和30年代で、
40年代に入って広く普及したという。

高度成長期となり、欲しいものが手に入りやすくなった。

甘いものは「まんじゅう」だけではない。

そこで、見栄えがする上に、当時は目新しい食べ物だった
「あんぱん」が選ばれたのではないか、とするもの。

確かに、時代的には“ハイカラな洋物”だったのだろう。

お決まりの「まんじゅう」には飽きていたので、
「あんぱん」の登場に人びとは喜んだのかもしれない。

だが、これだけでは、
なぜ「あんぱん」なのかがわからない。

残念ながら、諸説を探っても、
これ以上のものは出てこない。

なので、私が勝手に推測する。

ある日、法事に呼ばれたひとりの“おやじ”。

本来なら「法事まんじゅう」を持参するところだが、
本人は「まんじゅう」が大嫌い。

引出物として、また持ち帰るのは気が進まない。
何か、もらって嬉しいものはないかと考える。

このおやじは、高度成長期を謳歌している、
新し物好きなので、
最近巷に出現した「あんぱん」を気に入っていた。

これなら、他の参列者も喜ぶだろうと、
パン屋に頼んで「あんぱん」を箱詰めしてもらい、
のしをつけて持っていった。

これが「法事パン」の起源である。
……というのが、私の説。

物事の起源というのは、意外と単純なことが多い。
聞いてみれば、“そんなこと?”となる。

また、日本の風習というのは、
商売人が仕掛けたものも多い。

節分の恵方巻き。バレンタインデーのチョコレート。
お中元やお歳暮。

平賀源内が「土用の丑の日」を作ったことは有名である。

これと同じように、
「法事パン」もパン屋の巧みな戦略なのかもしれない。

ある日、パン屋の店先に張り紙が……。

「法事の引出物には、
 まんじゅうよりあんぱんが嬉しい!」

こうして、新しい風習が生まれたのではないか。






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posted by 佐藤きよあき at 14:07| Comment(1) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月24日

生活保護受給者に、仕事を頼んでみてはどうだろう?


人それぞれに理由はあるだろう。
病気で働けない。仕事が見つからない。

生活保護は救世主のような存在で、
廃止することはできない。

だが、大切な税金である。

いま、厳格な審査もしないまま、
安易な支給や不正受給がまかり通っている。

税金である限りは、もっと人を投入し、
本当に必要としているかどうかを
見極めなければならない。

市民の税金を無駄遣いすることは許されない。

また、本当に必要であったとしても、
年金や失業保険と違い、掛け金もない生活保護を
無条件で支給するのはおかしい。

税金ですべてを賄う以上は、
何らかの条件をつけた上で、支給すべきである。

決して、“もらい得”であってはならない。

とは言うものの、病気の人は救済しなければらない。

だが、たとえば、
ひとり暮らしの病人は生活保護を受けることができるが、
夫婦の一方が病気で、
一方が働けるなら保護は受けられない。

病人を抱え、看病しながら治療費に苦しむ人がいる。
だが、誰も助けてはくれない。

生活保護を受けていると、病気の治療費も無料になる。

これほど不平等・理不尽なことがあるだろうか。

さらに問題は、健康な受給者。
生活保護を受けながら、遊んでいるやつもいる。

毎月数万円以上が、何もせずに入ってくる。

こんなに“おいしい話”がどこにあるのか。
なぜ、許されているのか。

仕事を探す努力もしていないやつらに、
税金など使えない。

ならば、働いてもらおう。

生活保護の支給分を労働で返してもらう。

街の清掃、草刈り、公共施設の手伝い。何でも良い。

多くの生活保護受給者がいるので、
多くの労働力が見込める。

その分、アウトソーシングしている経費を
節約することができる。

すなわち、使っている税金を労働に代え、
これから使う税金を節約する。

病気のある人にも、そのレベルに応じて働いてもらう。

内職的な仕事でも良い。

無条件でもらえる金ではないことを
認識してもらわねばならない。






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posted by 佐藤きよあき at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする