2016年01月11日

母を「火葬式」で見送って、感じたこと。


先日、母が亡くなった。
本人の意向もあり、葬儀は行わず、火葬のみで見送った。

私は自分用にと登録していた葬儀社に連絡し、
格安の「火葬式」を依頼した。

遺体の搬送、安置、役所への手続き、
斎場での見送りまでを含めた、非常に簡易なものだが、
すべてを含んだ費用が約17万円。

価格の安さもさることながら、
私はその“楽さ”に驚いた。

十数年前の父の葬儀を思い出し、
「火葬式」を選んだことは正解だったと確信した。

父の時は、本人が掛け金を払って
会員になっていた葬儀社に依頼した。
一般的な葬儀である。

父が亡くなる前は、
病状が一進一退で何度も病院に呼ばれ、
泊まり込むことも多く、母と私は疲れきっていた。

亡くなっても、ゆっくり休むことはできず、
すぐに葬儀の準備をしなければならない。

葬儀社に依頼したからといって、
“すべておまかせ”でやってくれるわけではない。

葬儀に必要なものを、
ひとつひとつ「どうするか?」と聞かれる。

棺桶はどれにするか? 祭壇は?
花は? 写真は? 戒名は?

葬儀に関しては、葬儀社の言いなりになると、
とんでもない費用が掛かると聞いていたので、
できる限り冷静に対処しようとしたが、
疲れきっていたので考えられなくなってくる。

結局、費用は100万円を超えてしまった。

なるべく安いものを選んだつもりなのに、
100万円超えである。

私は当初、この葬儀社には
43万円の掛け金を払っていたので、
さほど追加料金は掛からないと考えていた。

それが、倍以上の価格になるとは、
信じられなかったのである。

だが、それが葬儀社の“システム”
であることに気づいても、時すでに遅しである。

大げさな言い方だが、私はその時誓った。
自身の時も、家族の時も、絶対に葬儀はしない、と。

まずは、費用の問題。
もし私が亡くなって、そんな金を使うくらいなら、
その分家族で美味しいものでも食べてくれ、と思う。
旅行にも行ける。当面の生活費にもなる。

次に、心身ともに疲れるようなことは軽減させたい、
と思う。

人が亡くなる前後は、本当に疲れる。
悲しむ余裕さえなくなる。

大切な人を見送る時ぐらいは仕方のないこと、
当然のことなのだが、私自身の時のことを考えると、
妻や子にそんな思いをさせたくはない。

とっとと終わらせて、ゆっくりと休んで欲しい。

見送る儀式など、どうでも良い。
心の中で、私をどう生かしてくれるのかが大切であって、
現実の私は早く処分してくれれば良い。

元々、いまのような派手な葬儀は、日本に存在しない。
ビジネスとして確立されたものである。

どう見送るかは、本人の希望や家族の思いなのだが、
大切なのはカタチではなく、心なのではないかと思う。

   




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posted by 佐藤きよあき at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする