2016年04月11日

“ちょい飲み”が流行ると、「新橋」で面白いインタビューが撮れなくなる!?


“ちょい飲み”が流行っている。
安いおつまみで、軽く飲んで帰ることである。

「吉野家」「日高屋」が先行し、
ごく最近では「ケンタッキーフライドチキン」
「スターバックス」が参入している。

仕事帰りのサラリーマンがターゲットだが、
会社の同僚というより、
近くにいる友人で集まることが多いようだ。

サラリーマンの仕事帰りと言えば、
居酒屋での上司や部下への大愚痴大会がメインで、
酒をがぶ飲みして、憂さ晴らしをする場所だった。

だが、“ちょい飲み”は違う。

たくさん飲むより、楽しく飲む。
憂さ晴らしではなく、楽しい時間を過ごす。

軽いコミュニケーション手段となっている。

本気飲みすることはなく、
予算も千円台で済ませることが多い。

若い世代が酒をあまり飲まなくなったことも
理由としてはある。

本当の酒好き・酒飲みは、
ほとんどいなくなってしまった。

さらに、不景気が追い打ちをかけ、
本気で酒を飲むことができなくなった。

その結果、居酒屋が窮地に立たされている。

巨大チェーン店を展開するワタミは、この2年ほどで、
百数十店舗を閉鎖するほどである。

居酒屋でも“ちょい飲み”を
提案できれば良かったのだが、
“本気飲み”のイメージが固定化されており、
気軽な利用には繋がらなかった。

その点、「吉野家」「ケンタッキー」などの
ファストフード店は、
“ちょい飲み”にピッタリな店である。

フラッと入って、サッと帰ることができる。

若い世代の志向に合ったのだろう。

だが、若干の不安は残る。
上司世代と若い世代のコミュニケーション不足である。

飲みに行くことが大切だとは言わないが、
これまでは嫌々ながらも同行することで、
相手を知ることはできていた。

それが、仕事を円滑にする手助けにもなっていた。

だが、一緒に飲まなくなったら、
どうやってコミュニケーションを取るのか。

会社内でのひと言ふた言では、
相手を知ることはできない。

いまの時代、上司による無理強いもできない。

こうなると、互いが歩み寄るしかないのではないか。

本気で飲みたい上司は、
部下との“ちょい飲み”につき合うべきである。

部下は、友人と飲みたいところだが、
上司と“ちょい飲み”する。

短い時間なので、嫌な思いもせず、
コミュニケーションの意義を感じることもできる。

これにより、本気飲みを愛する上司も徐々に酒量が減り、
身体のためにもなる。

次第に見苦しい酔っぱらいも少なくなり、
街が健全化する。

だらしないおやじの姿も見かけないようになる。

たとえば、サラリーマンの聖地「新橋」が、
静かな街となる。

だが、困る人たちも出てくる。

テレビ局の取材クルーたちである。

酔っぱらったサラリーマンは、絵になる。
面白い話が飛び出す。

サラリーマンの意見を聞くなら「新橋」なので、
他を探さなくてはならない。
というより、「新橋」以外はあり得ない。

つまり、インタビューができなくなるのである。

シラフで真面目なサラリーマンの意見など、
面白くはない。

酒の入った本音が、
テレビを観る人を納得させるのである。

酒とサラリーマンは、切り離せない。

だが、時代は“ちょい飲み”。
サラリーマン像の「変革期」が来ているのかもしれない。

   




人気ブログランキングに参加しています。
1クリックをお願いします。


ブログランキング



posted by 佐藤きよあき at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

ドン・キホーテ「食品売り場」の楽しみ方。


世の中に、ドン・キホーテファンは多いだろう。

「楽しく」「面白く」「変な」商品が、
激安で販売されている。

単に買い物をする場所ではなく、
見るだけで遊んでいる感覚になる、
不思議な魅力を持った店である。

最近は外国人客も増え、
その楽しさはSNSで世界に拡散されている。

日本のレジャー施設だと言っても良い。

そんなドン・キホーテの楽しみ方を
ひとつお教えしたい。

私も家内とよく遊びに行くのだが、
必ず最後に“お土産”を買って帰ることにしている。
と言っても、自分たちへの土産である。

最後に寄るのは、食品売り場。
ここを見るのが、また楽しい時間なのである。

見たことのない、
しかも珍しい食品がたくさん並んでいる。

恐らく、メーカーや問屋の在庫品を
安く買い取っているのだろう。

どこかの地方でしか売っていないような商品、つまり、
マイナーな商品を“発見する”ことができるのである。

知らない土地へ行って、
地元の商店にでも入ったような感覚を味わえる。

「なんじゃ、これ!」「こんなのアリ?」
「誰が食べるの?」というような商品を見つけるのは、
実に楽しい。

興味が湧けば、即、カゴに入れる。

次から次に発見するので、
気持ちをセーブするのが大変である。

まったく知らない商品を買うのは、
価格によってはリスクがあるので、
安いものだけを買うようにしている。

安ければ、“失敗”だったとしても、
“経験”として受け入れることができる。

それもまた、楽しからずや。

もうひとつ、食品売り場で買う商品がある。

“処分品”。
いわゆる“投げ売り”状態の商品である。

消費期限の近いものや売れ残りなどを
極端な価格で売っている。

200円程度の菓子を50円で。
150円程度のジュースを30円で。

売れ残るには理由がある。

味がいまいちだったり、
美味しそうに見えないパッケージだったり。

だが、それをあえて買ってみる。
失敗しても、数十円である。

これまで買った経験では、ほぼ、マズいか変な味である。

これが、面白いのである。

「開発部門の人は、ちゃんと味見をしたのか?」
「上層部は、よくOKを出したなぁ〜」と、
話が広がるのである。というより、広げる。

メーカーを想像しながら、開発途中の会話などを
自分たちで作ってみるのである。

こんなことをする一番の理由は、
“怖いもの見たさ的欲求”が、満たされることである。

数十円で、ほんのひとときだが、結構楽しめるものだ。

日本中の変わったものを経験できるのは、
ドン・キホーテくらいである。

非常に愉快な店である。

   




人気ブログランキングに参加しています。
1クリックをお願いします。


ブログランキング



posted by 佐藤きよあき at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

高齢者が小さなスーパーを利用する理由。


イオン系&セブン系の
ショッピングセンターやスーパーが、
“こんなところにまで?”と思うような田舎をも含め、
全国に進出している。

これにより、その地域でしか見かけなかった、
地元のローカルスーパーが次々と潰れている。

若い世代は、都会でしか手に入らなかった商品が
買えるようになり、その便利さに喜んでいる。

だが、地元のスーパーがなくなり、
困っている人たちもたくさんいる。

高齢者である。

大手流通の出店する店は、
郊外型が多く、なおかつ巨大である。

車がなければ、行けない場所にあることも多い。

高齢者は車に乗れなくなっていることもある。
乗ったとしても、長距離の運転は危険。

家が近くにあったとしても、店の巨大さ故に、
利用しづらい部分も多い。

まずは、
・歩く時間・距離が長くなる。
 駐車場から店舗への距離も長い。

・店の中も広いので、歩きまわることに疲れる。

・欲しいモノが、なかなか見つからない。

・大きな店は天井が高く、腰の曲がった高齢者は、
 上に掲示された案内板が見えない。

・店が広いと、店員に聞こうとしても、近くにはいない。

・客が多くて、
 シルバーカーを押しながらでは歩きにくい。

・品数が多過ぎて、
 「どこに何があるのか」を覚えられない。

このように、
若い人たちにはメリットが多い巨大スーパーでも、
高齢者にとっては、不便な店になってしまうのである。

高齢者が求めているのは、
「家の近く」にあって、
「ほどほどの広さ」で、
「すぐに店員に聞くことができる」店である。

慣れ親しんだ、地元のスーパーがなくなるのは、
非常に困ることなのである。

欲しいモノがあれば、すぐに買いに行ける店。

“いつものアレ”が、“あそこにある”店が、
高齢者にとっては便利な店なのである。

地元の小さなローカルスーパーは、
守らなければならない。

新しいものばかりが、受け入れられるとは限らない。

   




人気ブログランキングに参加しています。
1クリックをお願いします。


ブログランキング



posted by 佐藤きよあき at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする